歴史ある産地 「これからも重要品目」/りんどう部会解散総会

JA信州諏訪
令和4年3月15日をもって解散したりんどう部会
令和4年3月15日をもって解散したりんどう部会

JA信州諏訪花き専門委員会りんどう部会は3月中旬、茅野市のJA茅野市営農センターで解散総会を行った。部会員とJA職員14人が出席。令和3年度事業報告並びに収支決算、部会解散に関する件など全4議案を協議、承認した。
管内は市場から、高品質のりんどう産地として評価されている。その歴史は古く、昭和15年、現在の茅野市と長和町の境にある大門峠付近で自生していた根株を掘り、持ち帰って栽培・出荷したことが始まり。以後、生産者が増加し、生産量も拡大。昭和40年代には出荷容器が木箱から段ボールに代わり、共選・共販が本格的に開始した。昭和60年、共選の最高出荷金額1億8,135万円を達成。以降も、長野県花の生産を守り継ぐべく、行政と連携した生産復興を図ってきたが、生産者が高齢化、新規栽培者・後継者の獲得に苦慮し、生産者・出荷数量ともに大幅に減少。昨年12月に開いたりんどう部会全体会議で、解散が正式決定した。
茅野市の牛山廣幸部会長(70)は「昔は大勢いた部会員がだんだん少なくなってしまい、今年で解散することになった」と寂しさを滲ませながらも、「あと10年は、りんどうを栽培したいと思っている。歴史ある産地の栽培技術を絶やさないためにも、若い世代に興味を持ってもらい、後継者を育てたい」と力強く語った。
JAは今後も、りんどうを重要品目として位置づける。営農部の職員が事務局として、ほ場巡回、栽培アドバイスなどを行い、生産者の支援を続ける考えだ。出荷・販売業務もこれまで通り行う。
令和3年度は、生産者16人が計6,254ケースを出荷。販売金額は2,761万4千円だった。今年度は、14人が栽培を行う。

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