私らしく生きる。「農」で輝く女性たち

農業とはどんな職業なのか、キツイのか、将来性はどうなのか、仲間はいるのか、やりがいはあるのか。
このトビラを女性が開ける
意志をもって歩む農業の道。人の農業女子の綺麗ごと抜きの現在地に触れてみよう。
農業には"人を幸せにする力"があるかもしれない。

河野嘉代さん

河野嘉代さん(32)

美容師から転職し、
やればやるほど好きになる農業という仕事。
旅館の運営と掛け持ちする。
ハードな毎日を楽しむ農業女子。

河野嘉代さんが美容師から農業に転身したのは10年前。米作りのノウハウを父親から学びフィールドは実家の田んぼでの米作りだが、単なる実家の手伝いを超え、今や主力メンバーとしてプロの農家の道を歩いている。
実はご主人の実家が営む旅館「洋風民宿 Fujiyoshi」の若女将でもある。普通ならそのまま旅館経営を本業とするところなのに、忙しい若女将の任務をこなしながらそれでも本気農業を続けるそのモチベーションはどこから来るのだろうか。

自分のお米を宿泊客に
食べてもらえる幸せがある
美容師をやめたのは「やっぱり自分は身体を動かすのが好き」と気が付いたからだという嘉代さんは、生まれながらにして農業女子なのかもしれない。今ではトラクターの扱いに関しては一緒に働いている父や弟より上だという。それに実際に農業を職業としてから「農にかける思いや情熱がよりいっそう出てきた」と実感しているそうだ。それでもまだまだ発展途上で「毎日が勉強」と、自分自身の伸びしろもちゃんとわかっているようだ。

「自分の手で安心安全なお米を作り、皆さんに食べてもらう。こんなやりがいのある職業はないと思います」と農業の魅力を語る嘉代さん。それはそうであろう、自分自身で作る以上に確実で安心できることはない。加えて嘉代さんは自分が作ったお米を運営に参加している旅館で、宿泊客がほおばる姿を毎日目にしているのだ。
そこで「おいしい」と言われようが、言われまいが、それは嘉代さん自身が手塩にかけて作ったお米に違いない。どんな評価をもらおうが、生産者としてこれほどダイレクトに「食べる現場」に立ち会えるのは幸せなことではないだろうか。嘉代さんが農業にのめりこむのは、こういった側面もあるのかもしれない。

農にかける情報はこれからも とはいえ、自然相手の農業はもちろん甘いものではない。収穫期に雨が降ってしまい、田んぼが乾くのをじりじりとした気持ちで待つ年もある。
しかも、嘉代さんは旅館の宿泊者の朝食を作り、館内の掃除をし、チェックアウトの対応をしてから田んぼに出る毎日なのだ。「旅館の運営はまだ(ご主人の)両親が中心なので、団体の宿泊客がいない場合や農作業最盛期はなるべく農業に時間をかけている」と、農業にかける嘉代さんの気持ちはなかなかに熱い。農業には人を熱くさせる何かがあるのだろうか。

河野嘉代さん(32)
●出身地:長野県飯山市
●現在のお住まい : 長野県野沢温泉村
●農業への取り組み :結婚後、ご主人の実家である旅館の運営をしなが ら、実家(専業農家)で農業に取り組む
●生産品目:コメ20町歩、ゴボウ6反歩(地元の生産組合と共同生産)

御子柴怜美さん

御子柴怜美さん(28)

東京生まれ、非農家育ち、
それでも農業を目指して専門学校へ。
ここで得たのは「おいしかった」と言われた
充実感と、人々の温かさ。

御子柴怜美さんは東京のサラリーマン家庭に育ち普通高校に進学するも、農業を目指して八ヶ岳中央農業大学校に進学。一旦、東御市の農業法人に就職したのち、結婚を契機にご主人と一緒に起農した。ご主人のご両親も公務員だったが、祖父が農家だったので一代飛ばしで農家を引き継いだ格好だ。栽培しているのはイチゴで、あくまで直販にこだわっている。

おいしいいちごづくりに妥協はない 「大変なことも、心配なこともあるけれど、この道(農業)でよかった」というのが怜美さんの率直な感想だ。
農業はキツイのかというと、「実はその中にも女性の役割がちゃんとあって無理なく働ける」という。それは農業法人の勤務と今のイチゴ農家で働いた実感だ。ここでは栽培の仕事もするにはするが、主に接客の方を担当している。
幸い交通の便もいいので、始めてから3年でファンは増えつつある。「自分がおいしいと思ったものを自信をもって売ることができるって、とっても幸せな事なんだなと実感している」という。しかもそれは自分たちが一から育てたものなのだ。

その分怜美さんの仕分けには妥協がなく、ちょっとでも味に不安のあると見れば規格外としてはねられてしまい、時々ご主人に「厳しすぎるんじゃないか」と言われたりするらしい。
まだまだ二人ともイチゴ栽培のキャリアが浅いので、必要な生産量を確保するのが大変で心配事は尽きないという。だから、ご主人の気持ちもわからなくはない。

ここでは直接販売だけで、いちご狩りはやっていない。その要望はたくさん寄せられるが、誰に対してもおいしいイチゴを提供するということができなくなってしまうし、色だけは良くしてとにかくたくさん作るという、味より量の勝負になってしまうのを二人とも嫌っているのだ。
「おいしいね」というお客さんが増えていることは確かで、遠方からわざわざ買いに来る人もいるのは、二人のこだわりがなせる結果だろう。
いちごは収穫期間が長いので、その間環境が変化する中安定的に収穫し続けるのがむずかしいという。「注文の数に足りるのか、足りないのか」という心配はしばらく続きそうである。

原動力は「おいしいものを食べてもらいたい」という気持ち 「今後イチゴ栽培が安定してきたら他の作物にも挑戦していきたい」と怜美さんは考えている。
田舎暮らしがしたくて農業に就いた怜美さん。満足しているのは農業という職業だけではなく、田舎ならではの人間関係だという。「皆それぞれ人間味があって、生活があったかい」というのが感想だ。

「職業だから」という割り切りではなく、純粋に「おいしいものを食べてもらいたいから」という気持ちがお二人の原動力になっていることが強く伝わってくる。このスタンスは、これから農業を始める人の大きな参考になるのではないだろうか。

御子柴怜美さん(28)
●出身地:東京都
●現在のお住まい:塩尻市
●農業への取り組み:結婚後、ご主人と一緒に専業農家
●生産品目:いちご4(7連棟35アール)

伊豆はる菜さん

伊豆はる菜さん(28)

いったん就職するも、畜産家に転身。
30頭を超える繁殖和牛の
世話をしている「毎日が幸せ」
子牛の世話は女性が向いているという。

二十歳の時から自ら自宅で繁殖牛の飼育を始めた伊豆はる菜さん。牛に対する想いも、仕事ぶりも、覚悟も十分な彼女は、そうした実績を見込まれて今は和牛の繁殖センターで働いている。女性が畜産・酪農業に就くことに、体力面などから心配する声もあるが、相手は生き物。伊豆さんは、子牛たちの第二のお母さんとなる幸せにひたっている。

繁殖牛の飼育は20歳からはじまった。 脱サラして養鶏業を営む関東出身のご両親のもとで育ち、普通高校を卒業して就職するも退職。「さて、何をしようか」と考えていたところ両親がペットとして飼っていたヤギの獣医から言われた「ヤギの体や出産は牛に似ているから大丈夫」という冗談めいた言葉を真に受けて、繁殖牛の飼育を決心した。
自宅で5頭の繁殖牛飼育をはじめたのは20歳のとき。牛は2才ころから種付けをはじめて約10ヶ月で出産する。たくさんの子牛を出荷してきた実績や牛に対する情熱、やる気などが地元のJAみなみ信州畜産課に評価され、「みなみ信州繁殖センター」が平成28年6月に稼動するにあたって、施設管理者としてJAから推薦された。同センターはJA全農グループの一員であるJA東日本くみあい飼料株式会社が運営する施設である。
現在は、伊豆さん一人で生後8ヶ月~16ヶ月の繁殖和牛31頭の世話・管理を任されている。

力仕事も、毎日幸せ 「伊豆さんの主な仕事は、餌やり、掃除、牛たちの体調管理など。この施設いる31頭はすべてメスで体重は450~500キロ。食べる餌はそれぞれの牛に合わせて1頭あたり1日4.5~6キロの乾燥牧草や配合飼料などを与える。31頭分ともなればかなりの力仕事である。きれいに掃除され、清清しい空気に包まれて牛たちはとても心地よさそうにしている。また、牛は比較的寒さに強く暑さには弱いため、牛舎内の寒さは厳しいが「牛たちがかわいくて、毎日幸せ。」と伊豆さんは言う。

子牛たちの第2のお母さん 牛の体調変化などの細かいことに早く気がつく女性は、子牛の哺育に向いているそうだ。見知らぬ人が近づくと警戒して頭を引っ込めてしまう牛たちが、伊豆さんが来ると嬉しそうに首をのばしてブラッシングしてもらっている。牛の顔はみんな違うようで、丸顔、馬顔、口が大きいなど特徴があるそうだ。牛の世話は365日毎日あるので旅行には行けないが、ちょっと遠出するだけで牛たちの様子が心配になるという。
食肉用の子牛の出荷量は、東日本大震災をはじめとする自然災害の影響もあり5年前に比べ全国で1割ほど減少している。JAみなみ信州では地元で生産された上質な牛肉を「南信州牛」としてブランド化している。その安定生産を支える和牛繁殖の拠点施設としてみなみ信州繁殖センターは期待されている。

伊豆はる菜さん(28)
●出身地:下伊那郡阿南町
●農業への取り組み:繁殖和牛の飼育約31頭+5頭

MENU