JA信州諏訪は7月16日、60年以上前の職員が使用していた有線機器一式を茅野市の八ヶ岳総合博物館に寄贈した。電話交換手として、また地区内の放送・連絡業務に使った機械で、同市に現存するのはこの一式のみ。古くからJAが築き上げてきた地域とのつながりを多くの人に知ってもらい、後世に伝えていく。
寄贈したのは、同市の旧泉野農協の電話交換機・テレホンスピーカー・増幅器・分線盤・整流器・テープレコーダーなど。支所再編に伴い、2024年3月末に閉所した泉野営業所で保管していた。物品整理の際、職員から「当時の職員の仕事に欠かせなかった品。JAと地域の深いつながりを象徴しているので、博物館に寄贈したい」との申し出で実現した。
有線放送は戦前・戦時中のラジオの共同聴取が原形。戦後は、街頭広告用、特定地域内での情報伝達などに広く利用されるようになった。なかでも、農村経済の中心をなす農協の事務所に拡声装置を置いて、組合員に連絡を行う形態が次第に発展。加入者宅内のスピーカーに電話送受器を付置し、拡声装置側に交換機、電池を設けて加入者と農協・他加入者相互の通話を可能にした。
同農協(期間中に茅野市農協に合併)では1962年から1982年まで、郵政大臣(現総務大臣)から有線放送電話業者として許可を受けていた。職員が電話交換手として、手動で回線を繋いで加入者同士が通話できるようにする業務を担った。また、職員が宿直や日直をしながら霜の注意喚起や農協・地区のお知らせなどを放送。録音しておいて、タイマーで時間を設定して放送する機能も使っていた。当時は、市内の全支所に放送室があり、機器一式が揃っていたという。
同市の両角徹生館長は「茅野市の歴史を保存する貴重な宝が増え、感謝している。当時を知る人には懐かしんでもらい、子どもたちには学びを深めてもらいたい」と話した。
地元JAの茅野中央支所の野明光幸統括所長は「展示いただき、当時のJAの役割や地域とのつながりを後世に伝えられればと思う。多くの方に鑑賞いただきたい」と願った。