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ロマンに満ちた美しい秘境・大鹿村の「幻の塩」

大鹿村の山塩

戦国時代、武田信玄が同盟国の駿河、相模から塩を送るのを止められ困っていたときに、敵である上杉謙信が塩を送ったという話は有名です。
「敵に塩を送る(敵が苦境の際に救いの手を差しのべる)」ということわざは、ここから生まれました。
しかし、海がなく、四方八方を山に囲まれた長野県で、天然の塩が採れる地域があることをご存知でしたか?

大鹿歌舞伎の里、自然豊かな大鹿村

そこは、南アルプスのふもと、標高750mの山間にある「大鹿村」。長野県南部・伊那地方に位置し、人口約1,000人。人の数より鹿の数のほうが多い、なんて言われていますが、昔から「大鹿歌舞伎」が伝統として引き継がれているほか、映画『大鹿村騒動記』の舞台になったり、ジビエ(野生鳥獣肉)料理を地域ブランドとして確立する取り組みを行ったり、なんとも歴史と自然と地域性に富んだ奥ゆかしい村なのです。

大鹿村の山塩

2万年の営みを感じる「幻の塩」

この大鹿村の鹿塩(かしお)地区には、大昔から、海水と同じくらい濃い塩水が湧きだしており、それを煮詰めて「塩づくり」が行われていました。そのため、地名に塩がつく場所が多く、苗字にも小塩、大塩、万塩など、塩がつく方が多くいらっしゃるんだとか。
大鹿村の山から採れる天然の塩は「山塩」と呼ばれ、同村でしか手に入らないことから「幻の塩」と言われています。

なぜ、山深い里に塩水が湧き出ているのでしょうか? 実は、その原因は正確にはわかってはいません。
一番有力な説は2万年の間、巨大プレートに運ばれ地球を巡り、大鹿村まで運ばれた海水が湧き出ている、という話。2万年前の海水が、今、地上に湧き出ていると想像すると神秘的ですよね♪

そんな大鹿村で、名人として山塩づくりに励む、「鹿塩温泉 湯元 山塩館」の4代目・平瀬長安さんのもとを訪ねてきました。

雪のように真っ白。美しく輝く塩の結晶

大鹿村の山塩

製塩所(山塩館の敷地内)

大鹿村の山塩

手汲みポンプもあり。湧き出す塩水

朝8時、山塩館を訪ねると、すでに作業を行っている平瀬さん。
1回の山塩づくりには1日半かかり、冬場は毎日塩づくりに励んでいるそうです。地下約10メートルからポンプで塩水をくみ上げ、ステンレス製の平釜で2回に分け、じっくりと時間をかけて煮詰めます。塩の結晶が平釜の水面に現れ、大きく育って再び沈んだ後、金網ですくい、ざるに乗せ、天日干しで仕上げます。
ざるに乗せたばかりの山塩は、キラキラと光っています。

大鹿村の山塩

厳選した薪を燃やして加熱すること、そして、急激に煮詰めすぎないことが、きれいな結晶の塩をつくるコツだと教えてくれました。
そう、平瀬さんのこだわりは、「雪のように真っ白で、きれいな塩の結晶をつくり出す」にありました。微妙な火加減で大きさや形が変わってしまうため、大変難しいとのことですが、これをつくることが一番の楽しみであり、モチベーションでもあると平瀬さんは言います。
その完成品がコチラ。

大鹿村の山塩

まさに、手作業でつくる職人の究極の技ですね。

山塩を味わうなら大鹿へ

山塩の特徴は、海水の塩よりもマグネシウム(にがり)が少なく、さらりとしてまろやかな味であること。食材そのものの味を活かせる塩である、と言います。焼き物や天ぷらなど、何にでも合う山塩ですが、平瀬さんのおすすめは、おむすびと白身魚のお刺身だそうです♪

この山塩は手づくりのため、つくれる量は、1リットルの塩水から30g程ととても少なく貴重な塩です。平瀬さんは、「山塩を知った多くの人に大鹿村を訪れてもらい、村の活性化につなげたい」との思いから、旅館の料理と、村内の土産物店に出荷するほかは、基本的に村外には出さないとのこと。

大鹿村の山塩

山塩をすくったざるを持つ平瀬さん

メディアで取り上げられることもあり、地域外・県外からも需要が多いそうですが、「大鹿でつくったものは大鹿で買ってほしい」という方針は貫いていきたいとのこと。平瀬さんの地元への愛着と、築き上げた山塩ブランドへのプライドが感じられます。

地域に受け継がれる山塩の魅力

4月からは、真白な塩だけではなく、鉄分を多く含んだ黄金色の塩も商品化する予定であること、地元小学生が塩づくりの体験学習に来る予定であること――いきいきと話す平瀬さんの表情は、これからも大鹿村の山塩が、地元から県内外へと、「幻の塩」として定着していくことを予感させました。

大鹿村の山塩

4月から発売予定の黄金色の塩(試作段階)

20170308sio04.jpg地域に根付き、地域に愛される、そしてルーツ不明で不思議に満ちた神秘的な「山塩」を味わいに、大鹿村に来てみませんか?

鹿塩温泉 湯元 山塩館

20170308sio05.jpg【参考】
明治8(1875)年、旧徳島藩士であり、政府の役人であった黒部銑次郎という人物を中心に、岩塩を見つけようと大きな夢を抱いた人々が鹿塩地区へやってきます。彼らは、塩水を煮詰めるなどの製塩事業をしながら、山を掘り岩塩発見に執念を燃やしますが、結局発見できませんでした。(写真)

そして、当時黒部銑次郎のお手伝いをしていたのが、平瀬長安さんのおじいさん。平瀬さんの塩づくりのルーツです。
黒部さんらの熱意は地域にも伝わり、大鹿村へ大きな影響を与えました。明治33(1900)年には、大正天皇のご成婚に際して真っ白く輝く山塩を献上しました。
しかし、その後、明治38(1905)年には、塩が専売制となり、しばらくの間生産をすることができませんでした。平成9(1997)年に規制緩和がされ、平瀬長安さんにより、昔ながらの製法にこだわった塩づくりが再開され、今日に至っています。

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